NDAの宅地造成として、外構工事が昨日スタートした。
解体工事が、はじめの一歩と仮定すると、この工事は二歩であろう。
昨日は、松本へ出張であった為、今朝一番に現場に向ったが、
やはり現場には、机上にはない、別の興奮がある。
施工性や合理性、そして見え方や費用など、総括的に完璧を目指した机上の検討と図面化であっても、
やはりストイックに追い込めば追い込む程、問題は起きる。
そこで、生きた意見交換の末、その場のジャッジがそのまま形になる訳だが、そこに興奮を感じる。
ここの苦しさが楽しい。
おそらく余裕いっぱいに設計していれば、そこの問題に「来たな」的な興奮は無い訳で、
正直それはつまらない。
現場は、「ギリギリ」でなければ、職人もジャッジする監理者も、本質的な力を発揮することは、
無いだろう。
デザイナーや建築家が、現場任せにする話しを聞くが、それはもったいない。
土の上で、一緒に苦しむべきである。
美しく仕上ろうが、画期的なアイディアが生まれようが、土の上で、しっかり討論する事が、
哲学や人の手を染み付かせる。
染み付いたものには、必ず感じるモノがあるし、そういうものこそ長い時を生き抜いていくと信じている。
僕は、そんなんが好きだし、ずーとそうしていきたい。
震災で、傷ついた日本であるが、今、小さいながらも新しいモノが息付こうとしている。
僕は、そういう意味の責任も感じ、NDAを精一杯芽吹かせたいと思う。
Yesterday, “NDA” has started construction of the exterior.
The demolition, assuming that the first step, this construction would be two steps.
Yesterday was a trip to Matsumoto in order and headed to the scene first thing in the morning.
Still feel the excitement at the scene.
Construction and rationalistic, or expenses, and how to see, but is perfectly aimed at drawing a comprehensive study, about as stoic as still a problem-prone.
At the end of the discussion there, the decision of the place stays the same as.
It fun.
If you have the time to design and perhaps those issues are not hard to stay awake.
But the creator is more tight design, to exert substantial.
Architects, to leave the scene of the waste.
On the ground, and suffer together.
The debate was solid, feel and philosophy.
Shall have the philosophy that can stay alive for a long time.
I’m just like things like that.
Japan will be hurt by the earthquake, was born to try new things.
Work hard to make “NDA” bloom.