昨日、大学時代の友人が久しぶりに泊まりにきました。
学生の時は、週の半分ウチに泊まったりしてたこともあるので、何か懐かしい感じ。
この友人はIDYの施主でもあるのですが、1年半経って設計時の話を振り返ったりしてみました。
そこで興味深かったのが、「設計中は完全に理解しきれないんだよ」という話。
当然、施主は初めて建築に挑戦する訳ですから、完全にイメージしていくのは難しいことなのだと思います。
私たち設計者が努力しなければいけない部分でもあります。
更に友人が言ったのは、「人は雨がしのげて充分なサイズのハコがあれば快適に生活できんだね」という言葉。
この意見は、かなりの上級者な考えです。
設計途中では、当然お互いに意見をぶつけ合うのですが、お施主様はあれも必要かなとかこれも欲しいなと、想像が膨らむ訳です。当然、その要望・希望は全て言ってもらわないと設計はできない訳ですし、できる限りかなえてあげたいと思っています。
そこで僕は、その計画で一番コアになる解を見つけて、あとはできるだけ自由な空間を用意しようと心がけます。
後は施主自身で仕切っても良いし、本を置いたり、自作の家具を置いたりして、バージョンアップしていけるようにプログラムしていく。つまり作り込みすぎると、自分達ではどうにもできなくなると考えているからです。
当然、設計者はお施主様の将来的な事も考えながら設計していくのですが、その確度には限界があります。
例えば、子供の予定は1人といっていても、双子ができるかもしれないし、急に父親や母親と同居になる必要性がでてこないともいえない。
束縛しない空間で、状況の変化に自身で対応し、試行錯誤して楽しんでいく。
そうすれば人と建築は共に、心の通った良い朽ち方をしていけるのだと思います。
もっともっと情熱をもって、説明をしていかなければいけないんだなと考えさせられる関心な一言でした。